| 2004.11.5-12.10 : 鈴鹿芳康 「相制」 |
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展示内容: 今から15年以上前に、「部分」というテーマのグループ展に出品するために鈴鹿は「人の手」を撮影しました。人間の存在を意識するとき、その個性を最も「かたち」として象徴している「部分」は手ではないかと考えた作者は、僧侶の合掌した手だけを撮影しました。これらは、鈴鹿が常に意識している「対極」というテーマに基づいて、「部分」と「全体」を表現しようとした作品ですが,合掌のシリーズの始まりとなりました。数年後にはダンサーの躍動感あふれる手に着目し、敢えて長時間露光による撮影を行いました。肉体的な限界で静止した「かたち」としての合掌は、「動」の極点であるととらえました。これに対して、今回発表する新しい合掌のシリーズは、人間の祈りの「かたち」としての合掌をとらえています。 前作「縁起曼荼羅」(2002年)を撮影するために四国八十八カ所を遍路していたときに着想を得たという作者は、次のように語っています。「人々との出会いの連鎖を綴る撮影をするため、各霊場の前で待ち構えていると、霊場を訪れる人々のほとんどが、その門をくぐる前に合掌し、一礼していく。遍路する人々に会って、話を聞いてみても、遍路する理由は人それぞれであり、もちろん空海を尊敬しているという人もいたが、還暦などの人生の節目のための旅であったり、自己発見や反省のための旅であったりする。必ずしも仏教を信仰して遍路しているわけではないのだ。それでも、人々がそれぞれの霊場の前で合掌していくのは、そこに普遍的な祈りの『かたち』が表れているのだと気づいた。そこには宗教的な意味が全くないわけではない。しかし、むしろ人々が何かを心から祈ろうとするときに自然に表れる、最も本質的な身体の『かたち』が合掌なのではないだろうか。人々は合掌することにより、それぞれの精神世界へと穏やかに入っていくのだ。」 四国八十八カ所の撮影がきっかけだったこともあり、今回のシリーズは空海ゆかりの僧侶たちの手を撮影しています。ただし、真言密教の合掌である指を組む金剛合掌ではなく、一般の人々が日常的に行う手の平を合わせる虚心合掌を選びました。それは、宗教的ではなく身体としての「かたち」、あるいは僧侶としてではなく一人の人間としての祈りの「かたち」を撮りたかったからに他なりません。 このシリーズは、身体と精神との間に相互に制約する因果関係を意味する「相制」をタイトルとしていますが、まさに合掌とは、「身体」と「精神」、「日常」と「非日常」、「部分」と「全体」、「静」と「動」といった、対極どうしの因果関係の接点に現れた「かたち」そのものと言えます。 出展作家:
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