八木 清

エスキモーとアリュートの肖像

2006.2.15(水) - 3.31(金)
Photo Gallery International

八木 清

エスキモーとアリュートの肖像

2006.2.15(水) - 3.31(金)
Photo Gallery International

  • ©Kiyoshi Yagi

極北の狩猟民族エスキモーとアリュートは、国境をまたがって暮らす民族である。現在、エスキモーはシベリアのチェコト半島(ロシア)からアラスカ(アメリカ)、カナダ、そしてグリーンランド(デンマーク)までの四カ国、直線距離にして約6千キロという広範囲に渡り、おもに沿岸や一部内陸の山岳地帯に暮らしている。また、アリュートは、シベリアのコマンドル諸島からアラスカ南西部のアリューシャン列島にかけて暮らしている。

 

八木清はこれらのエスキモーとアリュートの家族、そして彼らを取り巻く自然を撮影するため、1994年以降 およそ10年をかけてアラスカのエスキモーとアリュートの村々を訪ね、極北の家族を8×10インチの大型カメラで撮影する旅を続けた。「20世紀に入り、アラスカのエスキモーとアリュートの社会にはわずか半世紀のうちに急激な西洋化の波が押し寄せた。なかでも大きな影響をもたらしたのは、子供たちが母語 (エスキモー諸語やアリュート語など)を話すことを禁じられたため、現在ほとんどの村で子供や若年層は母語を話すことができなくなり、英語を理解できない祖父母たちの間で会話が成り立たないことが起きている。『文化の核』とも言える民族の言葉が、世代交代が進むなかで消滅してしまうのはもはや時間の問題になってしまった」と八木は語る。

 

伝統的な暮らしが営まれていた時代に生まれ育った老人たちと、伝統と西洋文化のはざまで生まれ育ち、苦しみながらも自らのアイデンティティーを模索する若い世代をひとつの画面に納めることができるのは今しかない、と感じた八木は家族の撮影を開始した。厳しい極北の自然に適応した家族の独自の文化や生活様式、狩猟道具や伝統工芸品、そして人々を取り囲む自然風景も彼らを捉えるうえで欠かせない。「旅先で出会う家族は、いつも私を温かく迎え入れてくれた。大きな時代の流れのなかで母語を失いながらも、彼らは北方狩猟民族として誇りを持ちつづけるために、太古から続く自然との密接な関わりを維持している。食卓にあがる食べ物のほとんどが狩猟や漁によって確保され、ツンドラや海からの恵みが、血となり肉となることを至上の喜びとしている」と八木は語っている。

 

今回展示する「エスキモーとアリュートの肖像」(アラスカ編)は、国境をまたがって暮らすエスキモーとアリュートの家族の肖像を4カ国をとおして撮影し、国境を取り払った視点で捉えようとする八木の試みのひとつの通過点であり、あらたな旅に向けた布石とも言える。

 

8×10インチのプラチナパラジウムプリント作品50余点を展示します。

「エスキモーとアリュートの肖像」

極北の狩猟民エスキモーとアリュートの文化発祥の地は、約四千年前のシベリア東部とアラスカ沿岸部と考えられている。その当時、彼らは同じ言語(プロト・エスキモー・アリュート語)を話す民族であったが、その後それぞれ固有の生活圏に暮らしはじめ、独自の生活様式と新たな言語体系を育んできた。

現在、エスキモーはシベリアのチュコト半島(ロシア)からアラスカ(米国)、カナダ、グリーンランド(デンマーク)まで の四カ国、直線距離にして約六千キロという広範囲に渡り、おもに沿岸や一部内陸部の山岳地帯に暮らしている。またアリュートは、シベリアのコマンドル諸島からアラスカ南西部のアリューシャン列島にかけて暮らしている。

二十世紀に入り、北洋での捕鯨船団の展開、そして金や油田などの天然資源を求める白人たちの進出は頂点をむかえ、アラスカのエスキモーとアリュートの社会にはわずか半世紀のうちに急激な西洋化の波が押し寄せた。

なかでも大きな影響をもたらしたのは、二十世紀はじめから中期にかけて行われた同化教育であろう。子供たちは母語を話すことを禁じられ、これに反した場合は罰として鞭で打たれたり口を石鹸で洗われたりした。この半世紀におよぶ抑圧はアラスカ先住民言語にとって致命傷となり、現在ほとんどの村で子供や若年層は英語のみで母語(エスキモー諸言語とアリュート語など)を話すことができなくなった。そのような若い世代と、英語が理解できない祖父母たちとのあいだで会話が成り立たないことも起きており、彼らにとって『文化の核』でもある民族の言葉が、世代交代が進むなかで消滅してしまうのは、もはや時間の問題となってしまったのだ。

伝統的な暮らしが営まれていた時代に生まれ育った最後の語り部でもある老人たちと、伝統と西洋文化のはざまで生まれ育ち、苦しみながらも自らのアイデンティティーを模索する若い世代をひとつの画面に納めることができるのは、今しかないであろう。この視点から、一九九四年以降アラスカのエスキモーとアリュートの村々を訪ねて、親子三世代以上をふくむ極北の家族を8X10インチの大型カメラで撮影する旅を続けてきた。また、この撮影テーマにおいて、厳しい極北の自然に適応した彼ら独自の文化、狩猟道具や伝統工芸品、そして自然風景も重要なモチーフとなっており、これらの作品を含めて豊かな階調と優れた保存性をあわせ持つプラチナ・パラジウムプリントで製作した。

旅先で出会う家族はいつも私を温かく迎え入れてくれ、寝食をともにし、狩猟に出かけることもある。そのような経験をとお して感じることは、大きな時代の流れのなかで母語を失いながらも彼らが北方狩猟民族として誇りを持ち続けるためには、太古から続く自然との密接なかかわりを維持していくことにあるということだ。村では現在も家族や親族構成を中心として協力しながら狩猟生活を営んでおり、食卓にあがる食べ物のほとんどが狩猟や漁によって確保されている。彼らはツンドラや海からの恵みが、血となり肉となることを至上の喜びとしているのだ。

エスキモーとアリュートは、国境をまたがって暮す民族でもある。特に『イニュイット』と呼ばれるエスキモーは、アラスカ西部からカナダ、グリーンランドにかけて暮すひとつの民族である。このようなことから、『家族』を根幹としたこの撮影テーマでは、アラスカ(米国)、シベ リア(ロシア)、カナダ、グリーンランド(デンマーク)の四ヵ国をとおして撮影し、国境を取り払った視点で完結させたいと考えている。その意味でアラスカ 編としてまとめた今回の写真展は、私にとってひとつの通過点であり、また、新たな旅に向けた布石となることを願っている。

八木 清

八木 清(やぎ  きよし)
1968年長野県生まれ。1993年アメリカ、アラスカ州立大学フェアバンクス校ジャーナリズム学部卒業後、写真家水越武氏に師事。1994年から極北の 先住民族エスキモーとアリュート、そして彼らを取り巻く自然の撮影を始めた。2004年日本写真協会新人賞受賞。2005年準田淵行男賞受賞。
個展「極北の家族〜エスキモーとアリュートの肖像〜」アイデムフォトギャラリー [sirius](2005年 東京)。

 

 

PGI Exhibitions

2015年 Silat Naalagaq〜世界に耳を澄ます
2011年 sila
2007年 極北への旅 1994 - 2007
2006年 「エスキモーとアリュートの肖像」