2018年6月8日から7月15日まで、オーストラリア、メルボルンの現代写真美術館(Centre for Contemporary Photography)で開催された、日本の写真家を紹介する展覧会「TSUKA 塚」に参加しました。
「TSUKA: 森下大輔インタビュー」
Q:森下さん。あなたは本当に数多くの写真を撮る写真家で、日本の写真界に深く影響を与えている方だと思いますが、どのようにして写真を撮り始めたのか、教えてくれますか。
A:私は、特に声高に表現すべきものも告発すべきテーマも、不幸も幸福も持たず、ただいささかの苛立ちとともに写真を撮り始めました。何の気なしに写真を撮り始めたのです。そして写真の率直さにすっかり魅了され、21の時に「写真家になる」と決めました。写真を撮るのに特に理由はありません。私が大量の写真を必要とするのはまさにそのためです。
Q:あなたの作品は抽象的とも言い得るもので、近年、国際的に広く真価を認められてきつつある歴史的な日本の写真に、非常に深く影響を受けているように思われます。森下さんは『プロヴォーク』に影響を受けているのかなと私は思っているのですが、実際に森下さんが影響を受けたものについて教えてもらえますか。
A:私が最も影響を受けた作家はルイス・ボルツです。「パークシティ」に掲載された荒野に立ち上る黒煙の写真は私にとって、写真の新しい可能性を告げる狼煙でした。写真を被写体のコピーとして扱うのではなく、存在と対峙するための手段とすることで、そこに荒々しい知性が生じるとわかったのです。また日本人の作家でしたら吉村朗に親近感を感じています。写真を置き去りにしてゆくことのできる稀有な作家です。
言及されているプロヴォークに関していえば、私はプロヴォークの、当時の政治状況や社会的な危機感を色濃く反映したアジテーションの側面には全く関心はなく、世界を分節化せず生身のまま感受する姿勢をはっきりと打ち出した側面にのみ関心があります。写真表現に身体性を持ち込んだゆえの生々しさがそこにはありました。そういう意味では、森山大道の湿度や中平卓馬の詩情に大きな影響を受けているとは言えるでしょう。
Q. もちろん、あなたが金村修氏の素晴らしさを認めていることは存じ上げておりますし、当然、塚プロジェクトに参加してもらっております。そこで、あなたと金村さんの関係について、そしてあなたの作品に彼はどう影響を及ぼしたのかを教えてください。)
A:最初に彼を知ったのは、写真雑誌で当時飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していた荒木さんを「もう終わってますよね」などとこけおろしていたのを読んで、あれ、写真作家にも面白い人がいるんだな、と思ったのがきっかけです。しかし写真学校での金村さんのゼミは、いたって真っ当で、ストレートな写真製作技法の伝授に終始しました。真面目な講師としての金村さんに写真の作り方の基礎を教わったと思っています。それゆえ、金村さんは私の二十代の先生とも呼べる方です。
いま、金村さんがどんな考えで作品を製作しているのかはよく知りませんが、彼が提案した、写真のゼロ地点から「写真」を考えようとする身体的な創造性には深く同意するものです。)
Q:次にあなたの作品についてです。この塚プロジェクトに対して、あなたはどのような作品を提示しようと考えていますか。あなたの考えと提示する作品の写真技法をお聞かせ願います。
A:私はテーマを持って制作を進めるタイプの作家ではありません。一枚の作品のうちに存在の手触りと生の喜び、それに苛立ちを同時に表現することを常に考えています。そして理論や感情に先行するものとして写真を制作し続けることが本当の意味で存在に寄り添うことのできる最上の手段であると確信しています。
Q:最近、あなたは独立系出版社としてasterisksbooksを立ち上げましたが、それは非常に心躍る出来事です。この新しい出版プロジェクトについてお聞かせ下さい。将来、どのようなものを出版しようと思っていますか。あなたが出版しようと思っている写真に共通する考え方の枠組み’conceputual idea’とか、特定のタイプ/スタイルなどはあるのですか。教えて下さい。
A:asterisk booksで私が最も優先する価値観は、曖昧なものに真摯に寄り添うということです。これは写真が最も得意とする態度のひとつではないでしょうか。出版のアイデアはいくつかあるのですが、特にプロ、アマ、もしくは写真家であるかどうかにも拘らず、独立系レーベルならではのフットワークの軽さを活かして活動してゆこうと思っています。
Q:asteriskというのは、最近出したあなたの最初の写真集の題名でもあり、新しい出版社の名前でもありますが、このタイトルの意味は何ですか。
A:まず、引用の記号であること。写真とは引用の作法ですから。また語源がギリシャ語の「星」である点も気に入っています。しかし最も重要な意味は「未確定要素」を表すワイルドカードとして使われる点です。「なんだかよくわからないもの」に明確な形を与えてゆく行為を象徴するためにこの名前を選びました。
Q:それから。B&Wの暗室を使おうとしている日本の写真家や趣味の人にとって役に立つことだと思うので、カロタイプについてもご説明願います。
A:東京は市ヶ谷にあるレンタル暗室です。もともとは写真家の故 白岡順 氏が2008年に開設したものを我々が2016年に引き継ぎました。現在はモノクロ専用の暗室となっていますが、銀塩だけでなくデジタル系の機材も導入し、「写真家のための共同アトリエ」をコンセプトとして稼働しています。ほかにも様々なセミナーやワークショップを企画し、写真文化に貢献できればと考えています。
Q:私は、森下さんの写真集の、七番目の写真のイメージに強く魅了されているのですが(立って海を見ている、頭から白い円光が放たれている集団の写真です)
この写真について詳しく説明願います。また、森下さんの撮影方法とか(どこを歩くとか何を見るとか)、現像方法とか、プリントの技法とかも教えて下さい。(私が話をしている七番目の写真についてはjpegで添付しておきました。)
A:この写真を撮った時のことはよく覚えています。観光中の集団が眼下の景色を楽しみながら思い思いに散策しているのをスナップしたものです。人の群れをフォルムとして強調するために空を多く取り入れました。人の頭部からオーラのような白いもやが立ち上がっていますが、これはフィルム現像のムラです。私はフィルム現像や暗室でのプリントの際にこういった偶然の要素を(やりすぎ、too much、にならないように配慮しながら)取り込んでいます。偶然とは最も美しいものの一つだからです。その態度は撮影にも通じており、私は普段とりたてて撮影対象や場所を絞り込まず、どこかにいれば自然と写真をとっています。このような方法はテーマやスタイル、作品を通じたコミュニケーションを重視する向きからは批判されるのかもしれません。しかし私が写真で表現しようとしているのは写真自身の純粋性や存在の実在性といった哲学的ともいいうるものなので、こういった一見遠回りな方法が実は最も有効だと考えております。
Q:さて、Wallflower Photomedia Galleryで展示するためにあなたがメルボルンやミルデューラに訪れた2013年に立ち返って。
オーストラリアについてあなたが思うところをお聞かせ下さい。オーストラリアは、写真を撮りたいとあなたが思う場所ですか?
A:メルボルンに向かうために空港のゲートに着くと、2メートル近い大男が床に寝転んでゲームをしているのを目の当たりにして思わず笑ってしまいました。メルボルンでもミルデューラでもオープンマインドな人が多く、気持ちのいい滞在でした。前に述べたように私はどこでも制作できるので、砂漠から大都市まで、様々な表情を持ったオーストラリアは非常に魅力的な国です。もっといろんな場所を訪れてみたいと思っています。