竹之内 祐幸

<インタビュー>竹之内祐幸「距離と深さ」

2020.10.3 (土)
INTERVIEW

 

「距離と深さ」竹之内祐幸インタビュー

 

 

聞き手/文:村上由鶴

 

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写真展「距離と深さ」(PGI)会場にて

 

 

-「距離と深さ」のタイトルの由来、経緯などから教えてください。

 

2019年の10月に、作品集『Things will get better over time』(2017年, FUJITA刊)を一緒に作った藤田裕美さんと会い、また何かやろうという話になりました。「何か考えているタイトルある?」と聞かれて、頭の中に「距離と深さ」という言葉があったのでそれを提案しました。

心理学の本を読んでいたときに、人間関係においての相手との距離感と相手との関係性の深さについて語っている項目のなかに「距離と深さ」という言葉があって自分に響いていたので、そこからとりました。

 

 

-「距離と深さ」は、写真を知っている人間からすると被写体との距離や被写界深度を意識させられます。

 

その意味もかけています。今回はあえてピントを外したカットを入れてみたり、シャープなもの、寄っているもの、遠くを撮っているもの、距離感やものの大きさが実際はどれくらいのものかわかりにくい写真をまとめました。

例えば、頻繁に連絡を取らなくなって疎遠になってしまった人を心の何処かで覚えていることってありますよね。一方で、近くにいる人と必ずしも心が通じているとも限らない。そういうことを写真で表現できればと思いました。

 

©Hiroyuki Takenouchi

 

 

-遠く離れた場所へ行ってしまう恋人へ送りたいからということで友人に撮影を頼まれたことが今作のきっかけだそうですね。

 

はい。写真があれば物理的な距離ができても離れた世界のことを知ることができるのか、と思って、例えば宇宙人が地球のことを知ろうとした時に、地球に来られなくてもこの写真集を見たら地球はこういう景色だということがわかる、そんな本があったら面白そうだなと考えたことがきっかけになっています。

それが藤田さんと話したことと結びついて、展示と写真集を作ろうということになりました。短期間の展示のつもりだったので、普段はPGIで展示しなかったような写真、例えばざらついていたり、ピントがズレていたりするものも混ぜてみたら、結構自由にできました。「離ればなれになった相手の顔がわからなくなってくることってあるのかな」とか、「記憶の中の相手のイメージってだんだんこんな風になっていくのかな」ということを表現しています。

 

 

-このプロジェクトのために写真を撮っていくというよりは、日常的に撮影していて、今回のためにまとめたということでしょうか。

そうですね。あまり意識して来なかったんですけど、その時によって写っているものや撮り方が全く違うわけではなくて、毎回、同じものも入っています。自分の写真集をたまに見返すと「この時もこれ撮ってたんだ!」みたいなことがあって、自分でもびっくりしました。

自分の場合は、撮り方もいつも一緒で写っているものもいつも同じ。ですが、まとめかたの順番や、その時の心情や文章、となり合わせになっている写真の組み合わせかたなどが毎回変わってきます。

最近気付いたのは、映画監督でいつも同じ俳優を使って違う映画を作る方っていると思うんですけど、そういう感じに近いんじゃないかなということ。被写体は大きく変わらないけど、ストーリーが変わっていくような。

 

 

-確かに、カラスは竹之内さんの作品にはよく出てくる被写体ですが、普通の黒いカラスからアルビノのカラスになってそれが二匹になって、と同じカラスでも展開があるなと思いました。

 

一つの被写体がだんだん時間軸のなかで変わっていく感じを出したいと思っています。

 

  

©Hiroyuki Takenouchi

 

白いカラスを撮影に行った1回目の時には、ひとりぼっちで退屈そうで、人間が来て嬉しそう、という印象がありました。「寂しがってるだろうからもう一回行ってあげなきゃ」と思っていたんですが、2回目の時にはちゃんと仲間ができてむしろ人間を恐れるようになっていて。そこに関係性の変化を感じました。「カラスが退屈しているかもしれない」というのは自分の勝手な想像で、自分のなかで勝手にストーリーを作っていることにも気がつきました。「カラスは嫌われてるけどよく見たらかわいい」みたいな視点って、自分が良いことをしているみたいな気持ちにさせてくれるけど、それも自分の勘違いだなと思ったり。

それぞれちゃんと生きているんだなというのが嬉しかった気持ちもありました。「よかったね。」という感じというか。

 

 

-カラスだけでなく、今作は虫や動物がたくさん出てきますね。

 

今回は自分の展示の中でも特に多いです。平面に置いている写真は全て動物の写真で構成しています。一応左から右に向かって撮影した順に並んでいて、だから一番左と一番右の写真を比べると、右のほうがちょっと親密な雰囲気になっている。関係性の変化が表現されているかなとは思います。

 

写真展「距離と深さ」(PGI)

 

 

-一方で、人物の写真は減っていますよね。人を最近撮らないというのには何か理由があるんでしょうか。

 

自分が表現したいことって、「この人はこういう人ですよ」とか、「こういう人たちを写すことで何を表現したいか」ということじゃないんじゃないかな、と思ったら、自分が表現したいことをわかりやすく伝えていくためにだんだん人物の写真がなくなっていきました。

 

 

-縦位置の写真が多いですよね。

 

そうですよね。10年前のFOILギャラリーの展示のときに人に言われて気がつきましたが、自分にとっては縦の方が構図がまとまるんですよね。1枚の写真にひとつしかものを写さない写真が多いから、横位置にしてしまうと余白が多いんです。あまりにも縦位置が多いので、今回の「距離と深さ」では、意識的に横位置を入れたくらいで。

 

 

-これまでの展覧会や作品に寄せられた文章には、子供の頃のエピソードが度々登場していますが、その頃のことが制作にも影響していますか。

 

幼少期は、ちょっとませてる子でした。みんなと賑やかに外で遊ぶというタイプの子どもではなかったので、小さい頃は生きづらさを感じていました。それが自分の根っこにあるんだと思います。一人で遊ぶのは好きでした。その時に、家の裏の土手で草や虫たちをずっと見ていた時の視点と今の写真も一緒だと思うんですよね。

 

 

-確かに、「距離と深さ」にも一人遊びの視点を感じます。人を撮影している写真でも強くボケさせたりしているというところで、カメラの中での一人遊びのようですね。「一人遊び」の視点が逆に被写体に頼らない表現になるということでしょうか。

 

そうですね。人の写真であっても、「この人について」の写真じゃなくなっていくというか。

だからか、以前、人物の写真をたくさん展示した時に自分の作品に自分でも違和感があったんですよね。自分はこういう表現がしたいわけじゃないんだけどな、というような。ポートレートって基本的には共同作業だから。

 

©Hiroyuki Takenouchi

 

 

-前作までの写真と違って「距離と深さ」では写真の質感が変わり、ざらついているなと感じました。なにか変化があったんでしょうか。

 

前までは、こういう質感のものは嫌だったんです。PGIで見たアンセル・アダムスとかめちゃくちゃ綺麗だったから、そういう写真を撮りたいと思っていました。PGIでグループ展に参加した時に、少し大きく伸ばしたプリントにデジタルっぽい質感が出てしまったのも「なんか嫌だな」と思っていたんです。その一方で、自分は35mmとデジタルカメラしか使って来なかったので、この方法でどうしたら綺麗なプリントができるかなと考えていました。

それで、6年くらい中判デジタルカメラに移行してみましたが、いまはミラーレスカメラを使っていて、自分のスタイルだと、やっぱり小さいカメラの方が合っているなと思っています。

 

写真のざらつきについては、遊びというか。例えば絵画だったらいろんな描き方ってあるじゃないですか。細密に描くことだけが表現ではないから、抽象的に描いてもいいし色が全く現実と違っても良いわけで。「第四の壁」までは結構真面目に写真を撮っていたんですけど、絵画みたいな表現を写真でしてみてもいいんじゃないかなと思って。フィルムを使うのも流行っているけど、自分はそれは懐古主義っぽくてあまり好きじゃなくて。フィルムって供給がなくなったら撮れなくなっちゃうし、フィルムメーカーの作った画(え)に左右されてしまうと思うので。

自分は昔からデジタルカメラを使っていたので、デジタルで遊ぶような感覚です。

 

 

-前ボケや網戸の写り込みなど、「第四の壁」的なものを意識させるようなモチーフが、今回の「距離と深さ」でも見られるなと思いました。

 

前作「第四の壁」の時は、「第四の壁」というタイトルがあって、このタイトルと自分の写真をどう繋げるか考えました。自分と社会との間にある抵抗や、心の壁のことを写真を撮っている間だけ、感じないでいられる、忘れられるということでこのタイトルにしました。でもいま、話しながら思ったんですけど、「距離と深さ」と一緒ですね(笑)。結局、言いたいことは一緒なのかもしれない。

 

 

©Hiroyuki Takenouchi

 

 

-PGIで展示する意味や意識していることはありますか。

 

窓があることや、外の景色が見えることで助けてもらえる場所じゃないから、作品だけで勝負できる場所だと思っています。あとは額装もしっかりとしているし。真面目なギャラリーですよね。それが自分の作品と合っているのかどうかは結局よくわからないんですけど、その違和感も含めて、この中でやれることは色々やってみたいと思っています。

 

 

-チャレンジングな環境で写真を発表して行きたいということでしょうか。

 

そうですね。自分の作品ってスナップだったりデジタルだったりして結構軽い感じに捉えられそうな気がしていて。だから、しっかりした場所で展示することで、きちんと写真として見てもらえるかなっていうのはありますね。

 

 

-展覧会でも写真集でも作品を発表していますが、ご自身の中でのアウトプットの位置付けについて聞かせてください。

 

作品集はずっと残るものだし値段も高いので、後から見ても良いものにしたいという気持ちが強いです。

写真集『距離と深さ』に関しては、立体的というか、ものとしても存在感があるものになりました。少し展覧会っぽい作品集だなと思っています。

展覧会はその時限りのものだから、そのときどきでちょっと実験をしてみたいと思っています。見た人の経験として記憶に残ることをしたいなと思うようになりました。

写真集はどちらかというと普段見ている自分のプリントに近いから、展覧会は特別な体験ですね。コンサートに近いんじゃないかなと思います。

 

 

-今回の展覧会は新型コロナウイルスの影響で延期になりました。その間に考えたことを教えてください。

 

コロナ禍になって、家から出ない生活になって、仕事はもちろんですが作品としての写真も撮れなくなりました。で、自分の場合は身近なところで撮ることが多いけど、それでも「距離と深さ」の中の写真には新潟、秋田、韓国で撮っているものもあります。遠出のきっかけとかがないとなかなか写真って撮れないんだなとは思いましたね。

これまでは、仕事がないときにこそ作品のための写真が撮れると思ってたんですけど、仕事がないと本当に家から出ないんで。引きこもっちゃうというか(笑)。ちょっとあの時期はしんどかったですね。

今回の展覧会のためにいくつか写真を追加したり、展示の並べ方や写真の大きさも、自粛期間中に考え直したりしました。

ただ、「距離と深さ」というタイトルや表現したいことが、このコロナの状況とも偶然リンクしているなと思いました。新潟のカラスについても、「また行って撮ればいいや」と考えていたので、それもなかなかできなくなって。

この状況だからこそ、写真を撮っておくことって重要なんだなと思えました。

 

©Hiroyuki Takenouchi

 

 

-写真との出会いやきっかけについてお聞かせください。

 

小学3年生の頃から、どこかに旅行に行ったりした時に絵を描くための見本として撮っていました。高校生くらいになると写真ってみんな撮っていて、HIROMIXもちょうど流行っていたので、それで自分のカメラを買いました。それから今に至る感じですね。

 

 

-「表現したい!」、「表現するために写真の道へ!」というようなモチベーションというよりは、自然に写真の道に入っていった感じなんでしょうか。

 

自分は色んなことがあまり続かないタイプの人間なんですけど、写真はずっと好きだったので続けていますね。

 

 

-やはり制作の最も中心に撮ることがあるんでしょうか。

 

撮れなくてもいいんですよね。

 

 

-というと?

 

撮るために、どこかへ出かけて行ったりその場で考え事をすることが楽しいんです。

 

 

-カメラを持つことによって、いろいろなことを考えることができる?

 

そうですね。カメラを持たずに出かけることもあるけど、そういうときは写真のことはあまり考えない。カメラがあると楽しいですよね。色んなもの探そうっていう気持ちになる。こういう気持ちが写真を始めた頃から、今になっても変わらないから、それはやっぱりいいなと思います。

 

 

-それがずっと変わらないのはすごいですね。

 

そうですよね。いい加減飽きそうですけど(笑)。これからは映像や文章も作っていきたいと思っています。