<展評>イメージの迷宮——川田喜久治の「ロス・カプリチョス 遠近」について 伊藤貴弘(東京都写真美術館 学芸員)

2022.10.14(金)
ARTICLES

 

 

 

イメージの迷宮——川田喜久治の「ロス・カプリチョス 遠近」について

 

伊藤 貴弘(東京都写真美術館 学芸員)

 

 

 

ゴヤの絵が、とくに晩年の絵が私の脳裏に住みついたのは、十年ほどまえのことと記憶される。しかし不思議にも、その絵の幻影が時あるごとに立ち現れては消える。脳裏に住みつく理由も、その影像が出現する原因すら、なぜか知るよしもないのである。ただゴヤの作品の中からのかくれたる異常なまでの生命の持続が、時折り蜂となって私を刺すのだと思ったほうが現在はいいのである[1]  

 

 

2022年夏、「ロス・カプリチョス 遠近」と題した写真家・川田喜久治(1933–)の個展が東麻布のギャラリー、PGIで開催された。スペイン語で「気まぐれ」を意味する〈ロス・カプリチョス〉とは川田の代表的なシリーズの一つだ。スペインの画家、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746–1828)が1799年に発表し、当時のスペイン社会を鋭く風刺した内容が話題を呼んだ全80点の同名銅版画集から着想を得て、『カメラ毎日』1972年1月号に新連載〈気まぐれ〉として初めて発表された[2]

 1月号に掲載された7点はいずれもカラーで、休載を時折挟みつつ、2月号(7点)、3月号(5点)、5月号(12点)、7月号(8点)と全5回で連載は終わりを迎えるが、〈気まぐれ〉として掲載された計39点はすべてがカラー作品だ。「僕の『気まぐれ』は何点で終わりになるのか、また何処から売りに出されるか現在まだまだ解ったものではない。この終回で終わっても勿論いいのだし、突然続いて来ても差しつかえないのである[3]」と、川田は『カメラ毎日』1972年7月号の撮影ノートで述べているが、掲載から半世紀が経ち、日本の写真文化を担ってきたカメラ雑誌が軒並み休刊した今もなお、このシリーズが続いているとは驚くべきことである。

 

 階段を登り、検温と消毒を済ませてギャラリーの中に入ると、エントランスの正面に飾られた一点のモノクロームの作品が目に飛び込んでくる。画面は被写体で三分割され、中央のコンクリートの壁には鶏の足のような形をした木の影が映る。壁の手前にはコインパーキングの看板とカーブミラーが立っている。左右の画面はまだら模様の樹皮で覆われ、そのあいだから覗くようにコンクリートの壁が写されている。幹の傾きが同じことから、まだら模様の樹皮を持つ木の影が壁に写っていることがわかる。モノクロームの画面の中には、カメラによって生み出される光学的な秩序があり、このようにして言葉に置き換えることが可能だ。

 

 

〈ロス・カプリチョス  遠近〉より   ©Kikuji Kawada

 

 しかし、この作品を足がかりに、川田がデジタルデータから三椏の手漉き和紙に細心の注意を払ってプリントしたギャラリー内の作品を順番に見ると、早々に冒頭の作品がむしろ例外だったことに気づかされる。目立つのはそうした秩序を著しく乱すような、マニピュレーションの痕跡だ。例えば、物体として幾重にも重ねたイメージを手作業で掘ることで、イメージのレイヤーを出現させる作風で知られるアーティストデュオ・Nerhol(ネルホル)のポートレイト作品の複写には、コロナ禍に撮影された都心のストリート・スナップが多重露光のように重ねられる。冒頭の作品に続いて目にすることになる、この作品こそが本展「ロス・カプリチョス 遠近」の本当の始まりだろう。

 かつては熟練した職人的技巧が求められ、暗室の暗闇に隠されてきたマニピュレーションだが、今ではスマートフォンのアプリケーションでも同じような操作や編集が可能になり、インターネットには無数のチュートリアルがアップされている。その手順に従えば、手のひらに魅力的なイメージを簡単に生み出すことができる。このような時代にあって、川田の試みは決して目新しいものではなく、それを承知の上での実践であるはずだ。展示作品のうち数点は、ほぼ時を同じくして刊行された川田の最新写真集『Vortex』(赤々舎、2022年)にも掲載されている。英語で「渦」を意味する『Vortex』は、近年、川田がインスタグラムに積極的に投稿しているイメージで構成され、スナップショットが基調でありながら、マニピュレーションが主題と言っても過言ではなく、随所にその痕跡を見つけることが可能だ[4]。都市が纏うCMYKは、不自然さをあえて際立たせるかのように、鈍く、生々しく発色している。

 

写真集『Vortex』(赤々舎)より

〈ロス・カプリチョス  遠近〉より   ©Kikuji Kawada

 

 

 そもそも〈ロス・カプリチョス〉はその始まりから「光学的な秩序」とは無縁で、むしろそうした秩序を撹乱するような試みであった。連載が始まった『カメラ毎日』1972年1月号の「編集メモ」で、編集者の山岸章二(1928–79)は次のように述べている。

 

カラー連載「気まぐれ」の作者川田喜久治はかつて週刊誌グラビアで報道写真の第一線にあった人。その後「地図」や「聖なる世界」にみられるような、ものや遺跡への執拗な追求をくりかえしたあと、再び現実の中に目を戻して、そこにこそひそむ怪奇な世界を発見しよう、というのがこの連載のねらいだと思います[5]  

 

 川田にとってキャリア初の写真集『地図』(美術出版社、1965年)はデザイナーの杉浦康平(1932–)が装丁を手がけた。全ページが観音開きという、異例の写真集に収められた、広島の原爆ドームの天井や壁に残された「しみ」。『聖なる世界』(写真評論社、1971年)でページをめくると次々に飛び込んでくる、西欧の庭園や広場のおどろおどろしい彫像。二つの写真集に掲載されたモノクロームのイメージが、「しみ」や彫像のテクスチャを克明に伝える一方で、『カメラ毎日』1972年1月号所収の7点の〈気まぐれ〉には、具体的に何かを伝えることを留保するような趣さえある。7点のカラー作品は個別にタイトルが付けられているが、そこから川田が意図したすべてを推し量ることは容易ではない。下地が紅色に印刷された誌面には、読者に思考をうながすような、めくるめく迷宮世界が広がっている。

 例えば、1月号の7点のうち最初の作品は《夢の時間の火炎》というタイトルだ。ネーデルラントの画家、ヒエロニムス・ボス (c.1450–1516)が1490年から1510年頃に制作した三連祭壇画《快楽の園》の右翼に描かれた、地獄で人間が悪魔から様々な苦しみを受ける様子の部分的な複写に、上を向く幼い男の子の横顔が透けるように重ねられている。

 2点目と3点目の作品は見開きで向かい合う。2点目の《錯綜からみえるものは?》では、日の丸の鉢巻きをした詰襟姿の青年が一列に並び、木々の緑がもやのように彼らを覆う。3点目の《幽市へ出発》では、横転したフォルクスワーゲンのビートルが炎上し、見開きで掲載された4点目の《鎮魂の後景》では、靖国神社と思しき境内で、二人の参拝者の姿が遠景と近景で左右に写される。イメージの中央が左右をつなぐように黒く焼き込まれ、遠景(左側)のラフな半袖姿の人物と、近景(右側)のネクタイを締めた厳かな表情の老人が対比的に描かれる。

 5点目の《地上からの贈物》では、雲が浮かぶ青空とそこに伸びる避雷針が、6点目の〈生残る可能性〉では頭部のレントゲン写真が写される。最後の7点目の〈陰影(シャドー)にはりつく部分〉では若い男女の横顔がとらえられ、男性の顔に映る木々の影と背景のぼんやりとした緑から、詰襟姿の青年が一列に並んだ2点目が想起される。

 

〈ロス・カプリチョス〉より   ©Kikuji Kawada

 

 このように〈気まぐれ〉の連載第一回目の作品を順番に見てゆくと、とりとめのない、まさに「気まぐれ」なラインナップの一方で、戦争が一つのテーマとなった『地図』とのつながりや、1995年に写真集『ラスト・コスモロジー』(491)として結実した、宇宙や天体への関心も認められる。靖国神社を背景に様々な形の「戦後」が垣間見え、青空に伸びる避雷針と『ラスト・コスモロジー』の夜空を切り裂く雷は、言わばネガとポジの関係にある。

 その後、〈気まぐれ〉は〈ロス・カプリチョス〉として、勝井三雄(1931–2019)がデザインした私家版の三部構成の写真集『世界劇場』(1998年)に収められた。掲載順に〈ロス・カプリチョス〉、〈ラスト・コスモロジー〉、〈カー・マニアック〉の3シリーズで構成され、バブル崩壊で景気が落ち込み、震災とテロが暗い影を落とした世紀末の世相もあいまって、分厚いハードカバーの見かけ以上に各シリーズが重く響く。〈カー・マニアック〉は車窓から都市を写したシリーズだが、サイドミラーや窓に映る虚像も入り混じり、まるで都市の中をさまよっているような感覚に襲われてしまう。川田のレンズを通して、迷宮としての都市が立ち上がるのだ。

 「迷宮」とは、川田の写真について語る上で、一つのキーワードになり得るだろう。そこでは、ときに光学的秩序も消失し、わたしたちはイメージを紐解く手がかりを求めて、あてどなくさまようことになる。「ロス・カプリチョス 遠近」は川田喜久治による最新の迷宮であり、シリーズの誕生から半世紀という歳月が作り出した、果てしない広がりがある。ギャラリーの構造上、自ずと時計回りに作品を見ることになるが、イメージは動線に従って何周しても「気まぐれ」なままだ。

 バイクに二人乗りをする男女、裸で水遊びをする男の子、植物に侵食された石像、空に浮かぶちぎれ雲、マスク姿の路上の人々、無観客というかつてないオリンピックの舞台となった新国立競技場を照らす太陽……。〈地図〉や〈ラスト・コスモロジー〉、そして〈カー・マニアック〉までを取り込み、社会風刺を織り交ぜながら、川田喜久治の〈ロス・カプリチョス〉の迷宮は広がり続ける。

 

〈ロス・カプリチョス  遠近〉より   ©Kikuji Kawada

 

 

 

 昨年、オリンピックと同じく緊急事態宣言下で開催された「エンドレス マップ」に続き、「ロス・カプリチョス 遠近」もデジタルデータから和紙にインクジェットプリントされたことで、フィルムによるゼラチンシルバープリントでは成し得なかった、繊細で豊かな階調が暗部に生まれた。手漉き和紙の質感とあいまって、思わず耽溺してしまうようなシャドー部の美しさと、それらをシークエンスとして見たときの形容しがたい不気味さ。〈地図〉が〈エンドレス マップ〉として生まれ変わったように、〈ロス・カプリチョス〉も装い新たにわたしたちを幻惑する。いまだその名を冠した写真集としてまとめられたことのない、「未完」の〈ロス・カプリチョス〉は常に新しい。その広大なイメージの迷宮では、離れると一つひとつの細部が見えなくなり、近づくと全体が見えなくなる。「ロス・カプリチョス 遠近」の「遠近」とは、半世紀という時間の幅だけではなく、その見え方の違いも端的に言い表している。

 


[1] 川田喜久治「“気まぐれ”——ゴヤ・デーモン」『カメラ毎日』1972年1月号、127頁。

[2] 目次には「新連載・気まぐれ 川田喜久治」、図版が掲載されたページには「新連載 気まぐれ 川田喜久治」の下に「LOS CAPRICHOS KIKUJI KAWADA」と記されている。同上、目次および71頁参照。

[3] 川田喜久治「わが『虚偽の戯画』」『カメラ毎日』1972年7月号、136頁。

[4] 『Vortex』としてまとめられたインスタグラムでの川田の試みについては以下を参照。甲斐義明「写真家のレイト・スタイル」川田喜久治『Vortex』赤々舎、2022年、503–508頁。

[5] 山岸章二「編集メモ」『カメラ毎日』1972年1月号、136頁。

 

 

 

伊藤貴弘(いとう たかひろ)

東京都写真美術館学芸員。1986年東京生まれ。武蔵野美術大学美術館・図書館を経て、2013年より東京都写真美術館に学芸員として勤務。主な企画展に「松江泰治 マキエタCC」展、「琉球弧の写真」展、「写真とファッション 90年代以降の関係性を探る」展、「小さいながらもたしかなこと 日本の新進作家 vol. 15」展、「長島有里枝 そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」展、「いま、ここにいる―平成をスクロールする 春期」展など。