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©Kochi Prefecture, Ishimoto Yasuhiro Photo Center
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本年2月6日、石元泰博氏が永眠しました。
フォト・ギャラリー・インターナショナルでは1982年の『シカゴ, シカゴ』以来、20回を超える個展を開催、昨年末には念願だった「両界曼荼羅」写真集の再出版にあわせて展覧会を開催させていただいたばかりでした。
数多くのシリーズ、イメージを通して、また石元泰博の言葉から、私たちは多くのことを学びました。今見てもなお新鮮な「シカゴ, シカゴ」は「ある日ある所」とともに石元泰博の原点とも言えます。
石元泰博氏への追悼の意を表し、高知県立美術館のご協力のもと作品展を開催いたします。
サンフランシスコで生まれた石元泰博は3歳で両親の故郷である高知県へ戻り、1939年に18歳で単身渡米し農業を学びます。1941-45年、第二次世界大戦にともない大統領令が発布され、コロラド州の日系人収容所アマチ・キャンプに収容されキャンプ生活を送る。1948年、シカゴのインスティテュート・オブ・デザインに入学し、アーロン・シスキンやハリー・キャラ ハンらの元でいわゆるニューバウハウスの教育を受けました。
1953年に写真家として「The Family of Man」展の作品収集のため来日。名作「桂離宮」を撮影します。
シャープで理知的な石元の写真は、当時、新鮮な驚きを持って迎えられました。5年間の日本での活動の後、1958年写真集「ある日ある所」を発刊、それを区切りとし、同年から千代田光学精工(現・コニカミノルタ)の援助で滋夫人(1956年結婚)とともにシカゴに渡り3年間滞在することになりました。「自分を写真家へと育ててくれた」シカゴを再訪し、「己れのシカゴ」との出会いを求めるように毎日歩き撮影し、夜な夜な滋夫人と暗室作業の日々。
そうして「シカゴ,シカゴ」は生まれました。
一連のスナップショットは、インスティテュート・オブ・デザインで培われた石元の素晴らしい造形への眼差しとともに、シカゴという街を、在学中とは異なる、ある種「外からの目線」とも言える大きな視線で捉えています。
「シカゴ,シカゴ」からモノクローム作品38点を展示し、石元泰博氏を偲びます。
※ 本展では展示作品の販売はございません。
PGI Exhibitions
2012年 | 「シカゴ, シカゴ」 |
2011年 | 「両界曼荼羅」 |
2009年 | 「色とかたち」 |
2008年 | 「東京」 |
2007年 | 「シブヤ、シブヤ」 |
2006年 | 「On The Beach」 |
2005年 | 「シカゴ 1966」 |
2003年 | 「桂離宮」 |
2001年 | 「顔」 |
1998年 |
「KATSURA」 |
1998年 | 「水と人のながれ」 |
1997年 | 「シカゴ時代」 |
1996年 | 「色と遊ぶ」 |
1995年 | 「雲、紙、雪のあしあと, 伊勢神宮」 |
1992年 | 「落ち葉とあき缶」 |
1989年 | 「桂」 |
1988年 | 「花」 |
1986年 | 「街 ひと かたち」 |
1983年 | 「山の手線 29」 |
1983年 | 「シカゴ、シカゴ II」 |
1982年 | 「ある日ある所」 |
1982年 | 「シカゴ、シカゴ」 |