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©Naohisa Hara
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原直久はヨーロッパのパリやイタリア山岳都市など、8×10インチの大判で撮影した都市風景作品で知られている写真家です。近年は、急速に変わりゆくアジアの都市風景を撮影したアジア紀行シリーズを続けて発表しています。そのプリントは、完璧な技術により揺るぎない美しさを湛え、日本のみならず海外でも多くのファンを魅了しています。2017年には、台湾の国立歴史博物館で大規模な回顧展が開催されました。
長年ヨーロッパの都市風景を取材してきた原は、2000年に初めて韓国を訪れ、ヨーロッパにないアジア独特の熱気や活気に驚き、アジア紀行シリーズの撮影を始めました。原は2022年3月まで長年にわたり日本大学芸術学部で教鞭を執っており、このシリーズでは各地で活躍している原の指導を受けた元留学生たちが、運転手、通訳、荷物運びなど率先して撮影をサポートしています。韓国から始まり、台湾、北京と続き、今回は2007年から2009年に撮影された「上海」を展示いたします。
2010年の上海万博を間近に控え、古い建物が次々取り壊され、街が近代的な建物に塗り替えられている様を目の当たりにした原は、現地の人々がほとんど関心を示さずに失われてゆく、庶民が生活する里弄(リロウ)と呼ばれる集合住宅など、古くから続いてきた生活風景を中心に撮影しました。上海はかつて租界と呼ばれる外国人居留地があり、その影響で中洋折衷の独特なレンガ造りの建物が多く見られます。撮影からすでに10年以上の年月が経過しており、その風景の多くは姿を変え、失われています。逃げも隠れもできない8×10インチの大判カメラを使って対象に向き合い、長い年月の汚れが染み込んだレンガや、瓦礫、山積みの西瓜など、質感豊かに、細かなディティールまでじっくり印画に現した原の作品に向き合うと、ストレートな写真の持つ記録性や力強さを感じられ、想像力を喚起させられます。
原は1990年代からは、豊かな階調と、高い保存性を誇るプラチナパラジウムプリントで作品制作を行っています。安定した貴金属であるプラチナとパラジウムを含む感光液を紙に塗布して印画紙を作り、印画紙サイズの拡大ネガを作成し、特別な紫外線光源で密着焼き付け、現像処理を行う手間のかかる古典印画法の一つです。原は最高の結果を得るために、条件が整う夏の限られた時期に集中してプリント制作をしています。
本展ではプラチナパラジウムプリントによるモノクロ写真作品 約30点を展示予定。
幸運の上海経験
都市と自然の関わりを大きなテーマとした紀行シリーズで、最後に手をつけたのが「上海」と言っても良いであろう。随分前の話しになるが、2006年9月、北京ではじめての個展とプラチナプリントのワークショップを開いた時、そのオープニングにわざわざ上海から駆け付けてくれたのが、日本大学芸術学部写真学科を卒業して上海工程技術大学で写真の先生をしていた金鶴教授であった。パーティーの後皆で食事をしながら、実は初めて北京に来て、胡同の素晴らしさに魅せられ、早速撮りはじめたという話をした。そこで金先生から、上海も北京とはまた違った良さがあるから、是非一度撮りに来ないかと誘われたのがきっかけである。その誘いに乗って2007年8月、上海東浦(プードン)空港に降り立った。
迎えに来てくれた金先生と、夏休みで帰省中であった大学院生の庄哲君とタクシーに乗り、高速道路の上から初めて見た都市の光景の凄さを見ながら、これから10年でこの地区だけで日本のGDPを超すのではないかと言われ驚かされたのと、車窓から見るテーマパークの夜間照明のようなケバケバしさに圧倒され、私の撮りたい新旧のコントラストを捉えられるのか不安に駆られた。いざ上海と言っても,先ず頭に浮かぶのは上海料理くらいで、街はというと黄浦江が街の新旧を分け、古い街の代表が外灘であり、その対岸にあるのが浦東新区の超モダンな建築群のイメージしか思い浮かばなかったのである。
当時はまだインターネットを駆使して調べるという術もなく、ガイドブックと街の地図を頼りに中国の伝統的な場所を探しすことからはじめることにした。すると上海一の観光スポットである豫園とその周囲に城壁を壊して作った北側を人民路と南側を中華路という4.5㎞程の環状道路が走っており、その中心に上海老街というスポットがあることを発見した。明らかにこの人民路の内側は道路の形も違い、イタリアの山岳都市を地図で探すのと同じように、何かあるのではないか、という期待感を持った。また、この壊された城壁は16世紀、日本の倭寇の来襲に備えて造ったものだと後で聞かされて、感慨深いものがあった。
撮影初日、不安な気持ちを抱えながら、とりあえず事前に調べておいた豫園周辺に向かった。そこで被写体を見つけ三脚を立てると、何か街の様子がおかしく、間もなく昼前から急な夕立の洗礼を受けるとともに、この街に住む人たちの雨にも負けない逞しい生活の姿を垣間見るという経験をした。残念ながら、この後も雨には随分悩まされたが、この様な光景との遭遇は二度と得られることが無かった。しかし撮影を進めていく中で、そこに個性豊かに暮らす気位の高い上海人とその生活空間を少しは見る事が出来たのではないか。
北京の胡同、上海老街も取り組むには少し遅きに失した感もあるが、2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博という国全体が盛り上がる良い時に、幸運にもチャンスが廻ってきたことに感謝する。この上海のシリーズも、決して順調に進んだとは言い難いが、卒業生、上海工程技術大学の学生諸君のアシストを得て、素晴らしい上海を経験出来たのは幸運であった。
原 直久
原 直久(はら なおひさ)
1946年千葉県松戸市生まれ。1969年日本大学芸術学部写真学科卒業。1971年日本大学芸術研究所修了。
1976年~77年、文化庁派遣芸術家在外研修員としてフランス、ドイツで研修。1984年~85年、日本大学長期海外研究員としてパリを拠点に研究および制作活動を行う。2016年、日本大学を定年退職。
近年の主な個展に、「時の遺産」(国立歴史博物館、台湾台北 2017年)、「アジア紀行:北京・胡同−拆」(フォト・ギャラリー・インターナショナル(現PGI) 2013年)「Nostalgia」(BOMギャラリー、韓国ソウル2010年)、「アジア紀行:台湾」(2009年)「アジア紀行:韓国」(2005年)、「欧州紀行」(2003年)、「ヴェネツィア」(2000年)、「ヨーロッパ:プラチナ・プリント・コレクション」(1997年)[いずれもフォト・ギャラリー・インターナショナル(現PGI)で開催]などがある。
グループ展に「建築×写真 ここのみに在る光 展」(東京都写真美術館 2018年)、「第7回eco展」(韓国ソウル2012年)、「第6回eco展」(韓国ソウル2010年)、「未来を担う美術家たち DOMANI・明日展 2008 <文化庁芸術家在外研修の成果>」(国立新美術館 2008年12月〜2009年1月)、「Viva! ITALIA」(東京都写真美術館2001年)、「プラチナ・プリント ― 光の誘惑」(清里フォトアートミュージアム2000年)、「ヘルテン国際写真フェスティバル’ 99」(ヘルテン、ドイツ 1999年)がある。