三好 耕三
富士登 ふじのぼり
2001.9.3(月) - 9.29(土)
Photo Gallery International
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©Kozo Miyoshi
富士山は江戸時代から、お富士さん、富士様と庶民に親しみを込めて呼ばれ、「六根清浄、お山は晴天」と金剛杖を突き鈴を鳴らしながら登る富士講も盛んであったとか。
三好耕三はここ数年夏の行事として若い友人達を誘い、ひと夏に二度の富士登(ふじのぼり)を慣行しています。一度は自分の足で登ることが目的で、撮影は二の次でしたが、目の当たりにした光景はやはり写真家三好耕三の絶好の被写体となりました。これまでの平地での撮影状況とは違い、地上でも天でもなく、傾斜 の続く別天地は作者を魅了しました。そこは、「いつ、何処で、何が、誰が」をうち消した全く別の時空の中なのでした。
ファインダーを覗いて、引くことも寄ることもできない、ましてや8×10インチの大型カメラを担いで登ることも無謀なことであり、三好は下山するたびに、次は辞めようと思いつつも、また撮影を続けました。富士登に備えて、数ヶ月前から足腰のトレーニングを始めた三好は、五合目で充分に呼吸を整え身体を慣らすと、夕刻から20時間におよぶ山行を始めます。八合目あたりでようやく夜明けを迎えると、撮影をしながら頂上を目指します。延々登り続けて、やがて昼頃に山頂に到着。あとは無事に下山することだけを考えるのでした。
この「富士登」の作品は、現実世界の断片に潜む複雑に絡み合った現象を捉えてきた三好耕三の、これまでの作品群を網羅するような精神世界を現わしていると言えるでしょう。
モノクローム作品(大全紙)30余点を展示しています。
三好 耕三(みよし こうぞう)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。1986年日本写真協会新人賞受賞。1993年コニカプラザ奨励賞受賞。1991年文化庁芸術家在外研 修員として、アリゾナ大学センター・フォー・クリエイティヴ・フォトグラフィーで1年間研修後、96年までアリゾナ州で制作活動を続ける。
主な個展に「Tokyo Street 横丁」P.G.I.(東京 1999年)、「The Mother Road−Route 66」コニカプラザ(東京 1998年)、「In the Road」P.G.I.(東京 1997年)、「Far East and Southwest: The Photography of Kozo Miyoshi」
アリゾナ大学センター・フォー・クリエイティブ・フォトグラフィー(1994年)がある。作品は東京国立近代美術館や東京都写真美術館、ヒューストン美術館、プリンストン大学美術館などでコレクションされている。
PGI Exhibitions
2020年 | 「櫻 SAKURA」 |
2019年 | 「繭 MAYU」 |
2017年 | 「On the Road Again」 |
2015年 | 「RINGO 林檎」 |
2013年 | 「SABI」 |
2012年 | 「YUBUNE 湯船」 |
2010年 | 「SEE SAW」 |
2009年 | 「SAKURA 櫻覧」 |
2007年 | 「津々浦々」 |
2006年 | 「東京巡景」 |
2004年 | 「海廻り」 |
2003年 | 「櫻」 |
2002年 | 「CAMERA – 写真機 –」 |
2001年 | 「富士登 ふじのぼり」 |
1999年 | 「横丁」 |
1999年 | 「In the Road」 |
1997年 | 「In the Road」 |
1996年 | 「CACTI Landscapes」 |
1995年 | 「カクタイ」 |
1995年 | 「飛行場」 |
1994年 | 「Southwest」 |
1993年 | 「Chapel」 |
1992年 | 「タイ・ループ」 |
1989年 | 「温室」 |
1987年 | 「傍観」 |
1985年 | 「天真爛漫」 |
1983年 | 「See Saw」 |
1979年 | 「Exposure」 |